廻船問屋瀧田家企画展
明治・大正期の常滑
〜瀧田家に伝わる作文・写真から〜
1895年(明治28年)の日清戦争の勝利は、日本経済の発展の契機となりました。しかし、その好況は長くは続かず、不景気の波が押し寄せてきた時期でした。なかでも、常滑町の主要産業である陶業界は、この不景気の影響を強く受け、経営不振に陥る業者も少なくありませんでした。この状況を打破して、陶業界に活気を取り戻し、さらに常滑町を盛り上げようと、若い力の結集を図ったのが、1898年(明治31年)に結成された「常滑町青年同志倶楽部」(のちの常滑町青年会)でした。
常滑町青年同志倶楽部では、「明治三十一年の常滑」という課題作文を会員に執筆させました。会員の作文からは、会員それぞれが常滑町の現状と課題を見つめなおし、将来の常滑町を創り出そうとする意気込みが感じられます。それぞれの作文には点が付けられ、高得点者は表彰されました。
今回は、「明治三十一年の常滑」の高得点者の作文をはじめ、常滑青年会主催の運動会、常滑青年会野球チーム「TOKOSEI」のユニホーム姿の写真などを展示します。いずれも瀧田家に残された資料です。のちに瀧田金左衛門家七代目当主となる瀧田貞一が、常滑町青年同志倶楽部初代会長に就任した関係から、このような作文などの貴重な資料が残されています。
瀧田家はおよそ160年前の江戸末期から明治10年代後半までの約40年間にわたり、海運業を営んだ常滑を代表する船主です。また、明治初年より木綿業を開業し、昭和30年代まで営業を行っていました。
瀧田家の屋敷は、嘉永3年(1850年)に建てられた町家造りの住居です。平成12年(2000年)に「旧瀧田家住宅」として常滑市指定文化財となりました。現在、江戸末期の常滑の豪商の家に復元・整備した「廻船問屋瀧田家」として公開しています。
過去の展示 10代の瀧田文彦少年 瀧田あゆちと日本航空
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